2015年7月20日月曜日

【オピニオン】露骨な「貧困削減」の民営化は人権をリスクに晒す

ロンドン(2015/07/16)
企業のロビイストは、開発に関する会議では珍しいゲストである。しかし、今週、国連が、誰が新しい持続的開発目標(SDGs)のための支払いをするか決めるためにアディス・アベバで開催した第3回開発資金国際会議では、幾つかの国の政府は企業セクターの参加を歓迎した。

 不幸なことに、開発に参入する企業の役割が透明で説明可能な状態を保てるようにするためのいかなるメカニズムについても合意に至らなかった。


 ある種の人々は、開発問題において企業に大きな役割を割り振ることは、単純にウィン・ウィンの結果をもたらすと考えている。政府は、気候変動と貧困の問題に責任を持ち、ポスト2015アジェンダで求められる、住宅、健康、教育やインフラに関する目標を満たすために必要な2兆5千億ドルにのぼると見られる援助予算を支出するという圧力から解放されるための融資を利用可能になる。

 一方で、企業は政策立案に対して物を言い、旨味のある公的契約を獲得する潜在的な機会を得られる。

 しかし、政府がこれらの企業の肩に、貧困や気候変動、その他のグローバルな諸問題に取り組むという適切な責任を乗せるまでは、企業は、これは鶏小屋のなかに狐を放つようなものではないか、と疑う批判派を納得させなければならないだろう。

 企業を開発に関与させることが、生活を向上させるための重要な資金源を獲得するよい方法であるとしても、私たちの経験は同じように、企業が説明責任を負わないときは、人々やコミュニティが非常に深刻な害を被ることがある、ということを示している。

 水、教育、医療等の重要な公共サービスにおける民間企業の役割の向上は、リスクに満ちている。国連人権委員会は7月2日、適切な規制のない教育の民営化(私営化)が、無数の子どもたち、特に支払い能力のない世帯の子どもたちを質の高い教育から排除し、彼らの教育を受ける権利をリスクに晒している、と警告している。

 世界各地で、アムネスティ・インターナショナルも、多国籍企業の地域への進出のあとに発生した人権侵害により被害を受け、周縁化されたコミュニティが、場合によっては数十年も、裁判が行われるのを待ちわびているケースをあまりに多く報告している。企業セクターを適切なセーフガードなしに開発目標に関与させようとしている国々は、これら危険な問題について忘却しているのである。

 ボパールの毒ガス流出事故は、インド最大の工業災害となり、57万人以上の犠牲者が30年以上正義がなされるのを待っている。責任のある企業はユニオン・カーバイド社で、同社はその後ダウ・ケミカル社に吸収された。ボパール地裁はダウ社の刑事責任を追及しようとしているが、同社は聴取にすら応じていない。その間、生存者たちはインドと米国の両方での裁判を追及し、得られないでいるわけである。

 1989年の調停合意でユニオン・カーバイド社がインド政府に払った補償金は、発生した損害をカバーするにはまったく不足だったのであり、被害者に補償金を分配するのに深刻な問題が発生した。

 豊かな天然資源と貧しい規制体制を持つ外国で操業する企業は、傷つきやすい人々の支払いのうえに、巨大な利益を得ることになるのである。

 今年の初め、アムネスティ・インターナショナルはカナダと中国の巨大鉱山企業が、ミャンマー政府による人権侵害行為から、時には政府の共謀により、利益を得ていると警告を発した。ミャンマーの最も重要な銅鉱山では、非合法に自分たちの土地から連れてこられた何千人もの人々が動員され、深刻な環境リスクが無視され、また平和的な抵抗運動が暴力的に抑圧されている。

 不正行為の調査どころか、ある多国籍企業は英領ヴァージン諸島の不明瞭な信託ファンドを利用した投資の引き上げを行っていた。スキャンダラスな不正行為に直面した企業にとって、問題を正すのではなく、問題への曝露を極力減らすというのがモットーになっている。

 ニジェール・デルタ地帯の住民にとって、石油開発の半世紀がもたらしたものは彼らの農業や漁業の破壊に他ならない。今日まで、石油の流出事故はまったく止まないでいる。シェル石油の操業だけで、2014年には204回の流出事故が発生していた。シェル石油はサボタージュと盗難が問題だと述べているが、主要な環境汚染の原因は老朽化したパイプラインとメンテナンスが適切に行われていないインフラである。

 今年、ボドにあるコミュニティのひとつが、シェルによる大規模な石油流出の影響に対して8千億ドルの補償を命ずる判決を勝ち取ったが、これはイギリスにおける極めて長い裁判と、会社による虚偽の申し立てとの戦いの末であった。

 これらは、世界のリーダーが、企業セクターに対して融資の責任を持たせ、開発計画を実施させる計画を策定する際に熟考しなければいけない警告の物語である。これらすべてのケースで、政治と金融の権威は地域の人々が正義と説明責任にアクセスするさいのバリヤーを作っていた。

 政府は何十年も、人権が侵害されないことを保証するよう適切に規制するよりも、そこから逃れることにベストを尽くすような、企業の政治権力の増大を見守ってきた。

 企業のロビイストはその間、これらリスクを扱う重要な国際基準が完全に自主的なものに留まるように可能なことすべてを行ってきた。自主規制ルールや基準は、強制的な枠組みを持たず、企業の振る舞いを本当に変えるような力を欠いており、もし一度問題が発生すると、被害者をほとんど、あるいはまったく状況改善の望みがない状態に取り残してしまう。

 もし開発における企業セクターの投資が、単に企業の株主にとってではなく、それを必要とする人々にとって上首尾にすすむのであれば、国家は企業に対して門戸を開いておかなければならないだろう。持続的な開発に関する仕事から利益を得ようと望む企業は、人権に関わる問題について過去に問題を起こしていないか示す必要があるだろう。

 彼らは、人権侵害を引き起こさないことを保証する内部システムを持っていることを示す必要がある。企業は、地域コミュニティについて、権威者に払ったお金についてや、彼らに影響を与える地域での操業計画について、告知しなければいけない。

 重要なことは、政府が、問題が発生した時に企業に対して説明責任を要求する準備をしておくことである。国連の公的な援助目標額に五カ国を除いて到達していないということは恥ずべきことである。しかし、企業セクターに行動の自由を与えることで不足分を満たそうとするのは、すでに傷つきやすい共同体における人権侵害を導くのであり、これは持続的開発が癒すことを期待されている傷口に、かえって塩を塗りつけることに他ならない。


Savio Carvalho はアムネスティ・インターナショナル国際事務局(ロンドン)の国際開発と人権キャンペーン担当シニア・アドバイザーであり、20年にわたって南および中央アジア、東アフリカ、欧州に関する人権と開発の分野で働いてきた

[Resouce]
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