2016年4月16日土曜日

農民の闘争の国際デー (4月17日)

4月17日(日)は「農民の闘争の国際デー」として、全世界でヴィア・カンペシーナや「土地なき農民運動」などが集会を開きます。この日は、20年前の1996年にブラジルで19人の農民活動家が虐殺された日を記憶するために定められました。20年経った今でも、各地で農民の権利を守るための闘争のリーダーたちが殺されています。

ヴィア・カンペシーナは声明の中で
「農民の生き方や人間性の営為における人々の重要な遺産に対する、すべての形態の不正義を非難します。利潤の増大のために、土地と天然資源が社会の共有材として扱われることを否定し、それらを私営化(民営化)するモノカルチャーの実践を強制するアグロビジネス・モデルの押し付けが行われ続けています。それらは、生物多様性を破壊し、さらに多くの毒を使わせ、政府や国家の意思をねじ曲げようとします。
 利潤を最大化しようという大企業の受動的な同盟者である多くの政府とは異なり、ヴィア・カンペシーナは、人々の「食料主権」原則に基づいた、自然と人間性のバランスを保全する平等性に基づいた経済を確立する時が来たと信じています。」と述べています。

[Resouce] 17th April: Peasants mobilize to mark two decades of struggle to defend land and life

2015年10月5日月曜日

ライトライヴリーフッド賞(オルタナティヴ・ノーベル賞)発表


 今年もノーベル賞シーズンがやってきたが、この時期に合わせて、いくつかの賞も発表される。「もうひとつのノーベル賞」と呼ばれるライトライヴリーフッド賞も発表になった。ライトライヴリーフッド賞は、「我々が直面している最も緊急の課題に対する実践的で先駆事例となる回答」に対して与えられる。具体的には、人権や環境の問題に取り組んで来た個人ないし団体が(原則として毎年4人)受賞する。
 昨年は、エドワード・スノーデン氏らが受賞した。「積極的平和」という単語をめぐって今年話題になったガルトゥング氏なども受賞者である。日本からは高木仁三郎氏と生活クラブ生協が受賞している。環境運動で著名なワンガリ・マータイ氏はノーベル賞を受賞する以前にこの賞も受賞している。


 今年の受賞者は以下の通りである。


トニー・デ・ブルム(マーシャル諸島外相)と同国の人々。核保有9カ国を国際司法裁判所に提訴など、核軍縮に尽力。


シーラ・ワット=クルーティエ。カナダの先住民イヌイットの代表として環境保護などに尽力。

カシャ・ジャクリーン・ナバゲセラ。ウガンダでLGBTIの人々の権利のための活動に尽力。

ジノ・ストラーダ。イタリアのNGOエマージェンシーの創立者として、アフガニスタンなど戦地での医療に尽力。

2015年8月11日火曜日

W. E. B. デュ・ボイスからマルコムXまで: 反核運動の語られざる歴史

[Resouce]
W. E. B. Du Bois to Malcolm X: The Untold History of the Movement to Ban the Bomb (2015/07/30)

マーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師がヴェトナム戦争への強い反対を表明したとき、メディアは彼の市民権要求の道から逸れていると非難した。多くの人は「その件はほっておけ」と言葉を費やして彼を止めた。しかし実際は、アフリカ系アメリカ人の指導者たちは彼以前にも、平和と正義に関する幅広い問題に関心を抱き続けてきており、特に、核兵器に反対してきた。不幸なことに、この事実は主要な出版社がつくった歴史教科書からは排除されてしまっている。

1964年6月6日、日本の作家と被爆者団体が、広島長崎世界平和研究ミッションの一部として、ニューヨークのハーレムを訪れた。

日系アメリカ人活動家のユリ・コウチヤマがハーレム・マンハッタンヴィル公共住宅プロジエクト内の彼女の自宅で、友人であったマルコムXと共に、被爆者団体のレセプションを主催した。マルコムは「みなさんは原爆に傷つけられてきました。みなさんがご覧になったように、私たちもまた傷つけられてきたのです。私たちに落とされた爆弾は、レイシズムと言います」と挨拶した。彼はさらに、獄中の生活、教育やアジアの歴史について話を続けた。話がヴェトナムに移り、マルコムは「もしアメリカがヴェトナムに兵隊を送ることになるなら、進歩主義者はそれに抗しなければなりません」と述べた。彼は「ヴェトナムの闘争はすべての第三世界の闘争であり、植民地主義、ネオ植民地主義、そして帝国主義との闘争なのです」と述べた。マルコムXは、彼以前に公民権の問題に関わっていた多くの人々同様、植民地主義、平和と黒人の自由のための闘争といった問題を常に関連付けて考えていた。しかし、今の生徒たちがこの話を聞かされることはめったにない。

南軍旗を取り巻く昨今の進展と共に、アメリカの歴史教科書に何が含まれ、誰がそれを決めるべきか、という問題に関する新しい論点が出現している。アフリカ系アメリカ人の歴史に関して言えば、多くの場合教科書は黒人の自由を求める闘争を、モンゴメリー・バス・ボイコット事件とワシントン大行進のことだと説明されてしまう。ローザ・パークスとキング牧師は綺麗に整理された枠内に押し込められ、奴隷制、黒人隔離、公民権運動を、国際問題とはいっさい関係のない、純粋に国内問題と見ることで、生徒は黒人の自由を求める闘争の国際的な側面を見落としてしまう。しかし、マルコムXは、1945年から続く、活発に核非武装を求めたアフリカ系アメリカ人の長いリストの一人であった。W.E.B.デュ・ボイス、ベイヤード・ラスティン、コレッタ・スコット・キング、マーティン・ルーサー・キング Jr. 、そしてブラック・パンサー党などは、公民権の問題を平和問題と関連付けて考え、黒人の自由のための運動を広げ、それをグローバルな人権という概念の一部に定義するのを助けた多くのアフリカ系アメリカ人の一部である。

もし生徒がデュ・ボイスについて学ぶとしても、それは全米有色人種向上協会 (NAACP)の設立に寄与したことや、ハーヴァード大学から博士号を受けたことなどについてである。しかし、デュ・ボイスは広島と長崎への原爆投下の数週間後に、トルーマン大統領をアドルフ・ヒトラーと結びつけて「我々の時代の大量殺戮者の一人」と呼んだのである。彼は日本も訪れ、核兵器の利用を批判し続けていた。1950年代、韓国でもう一つの「ヒロシマ」が起こる恐れがあった時、デュ・ボイスは「核兵器禁止」請願によって核兵器を捨てるために黒人コミュニティが努力するよう、まとめあげた。多くの生徒は彼らの学業全体の中で、デュ・ボイスの国際関係における業績について学ぶことはない。

もし生徒がベイヤード・ラスティンの名前を聞くことがあっても、それはワシントン大行進に関する彼の業績に関連してである。彼はアメリカの歴史教科書の中で悲劇的なまでに小さな扱いしか受けていないが、これの主要な原因は、彼のホモ・セクシャリティによる。しかし、公民権と平和に関する彼の活動は、1930年にまでさかのぼる。1959年の公民権運動の最中に、ラスティンはアメリカ合衆国の制度的なレイシズムだけではなく、フランスがアフリカ大陸で最初の核実験を行おうとするのを阻止しようとガーナを訪れたこともある。

最近では、いくつかの教科書がキング牧師のヴェトナム戦争批判を掲載するようになった。しかし、キング牧師の反核兵器運動はその10年以上前の1950年代後半までさかのぼる。1957年から彼の死まで、演説、説教、インタビューや行進の機会に、キングは戦争と核兵器の利用に抗議し続けていた。キングは核実験の停止を訴え、「黒人であれ白人であれ、すべての人が置かれた文脈の中で、確立された社会正義を持つことの究極的な価値となるだろうことは、ストロンチウム90あるいは核戦争による破滅に直面しなくていいようになるということであろう」と述べた。1962年10月のキューバ危機の後に、キングは政府によびかけ、核兵器に使われている何十億ドルかのいくばくかを、教師の給料を上げることや、貧困地域に必要とされている学校を建てることに使うべきだと訴えた。2年後、ノーベル平和賞を受賞したキングは我々の社会の精神的および道徳的な遅滞は、人種的不公正、貧困と戦争の三つの問題の結果であると述べた。核の時代にあって、彼は社会がレイシズムと絶滅の危機を除去しなければならいと警告した。

キング牧師の妻は彼の反核の姿勢に大いに影響した。コレッタ・スコット・キングはアンティーク大学の学生時代に彼女の社会運動を開始した。1950年代から60年代にかけて、キングは多様な平和運動組織と一緒に活動し、また女性活動家の団体とともに、ケネディ大統領に対して核実験禁止を要求する運動を始めた。1962年に、コレッタ・キングは、ソ連とアメリカの核実験禁止条約を結ばせようとする世界的な試みである、ジュネーヴでの軍縮会議における「平和のための女性ストライキ」に代表として出席した。彼女の帰国後、シカゴのAME教会でキングは「私たちは核戦争で自分たち自身を滅ぼすかどうかの瀬戸際にいます。公民権運動と平和運動は究極的には同時に働かなくてはなりません。なぜなら、平和と公民権は同じ問題の一部なのですから」と述べた。

もうじき、私たちは広島と長崎の原爆投下70周年を追悼するであろう。1963年のワシントン大行進かの記念日からそうたってはいない。生徒は学校と彼らの教科書に戻るであろう。しかし、ほとんどが、これらの問題がどう関連しているか、学ぶことはないであろう。彼らは、公民権運動の中にいた人々が同時に平和のために戦った、ということを学ぶことはない。しかし、この状況はすぐにでも変えなければならない。マルコムXが述べた、戦争、貧困、レイシズムで傷つくことは未だに続いている。生徒たちが、この「死の三つ子」に挑戦する社会運動の長い歴史について学ぶべき時がきているのである。

ヴィンセント・J. イントンディはモンゴメリー・カレッジ准教授(歴史学)であり、アメリカン大学核問題研究所の所長である。著作に"African Americans Against the Bomb: Nuclear Weapons, Colonialism, and the Black Freedom Movement" (Stanford University Press, 2015) がある。

2015年8月7日金曜日

戦争状態にある国の軍事施設に対する攻撃を「テロ」と呼びうるか?

 7月16日に米テネシー州チャタヌーガのアメリカ軍施設で発生した銃乱射事件で海兵隊員4人が死亡、警官など3人が負傷した事件の翌日に、グレン・グリーンウォルドによって発表された文章を紹介する。日本でも「自衛権」の解釈拡大が話題になっているが、安保法制が立法されてしまった場合の軍事パートナーであるアメリカにおいても、こういった用語の溶解が起こっており、こういった世界的な流れがいつか破局的な事態を招くのではないかと危惧されるところである。

[Resource]
The Chattanooga Shootings: Can Attacking Military Sites of a Nation at War be “Terrorism”?

 テネシー州チャタヌーガで昨日、銃を持った男がアメリカ軍の軍事施設を襲撃し、海兵隊員が犠牲になった。「ムハンマド・ユセフ・アブドゥルアジズ」という襲撃犯の名前以外になにもわかっていないうちから、アメリカのメディアはすぐにかつ広く、これを「テロリズム」と表現し始めた。FBIも記者会見で「これがそうでないと判明するまでは、我々はこれをテロ事件として捜査を行います」と発表した。

 アメリカの政治とメディアの言説の中の「テロリズム」は、「西洋に対するムスリムの攻撃」以上のものではないということは、今や議論するまでもなく自明である。今回の事件では、容疑者の名前がこのラベルを適用するきっかけに十分であったように思われる。私はこのことを過去なんども述べてきた。最近では、2週間前に、チャールストンの黒人教会を攻撃した銃激者に対しては、彼の政治的、イデオロギー的動機が明らかであるにもかかわらず、「テロリスト」というラベルは断固として使われなかった。私はこの問題についてここで蒸し返すつもりはない。そうではなく、この用語をめぐるもう少し詳細な疑問について論じたい。つまり「民間人ではなく、国家が戦争状態にあるときの軍事施設や兵士に対する暴力的な攻撃に「テロリズム」というラベルを貼ることは妥当だろうか、ということである。

 (法的な用法に反して)一般的には「テロリズム」は「民間人に対する攻撃」を(たとえそれを明示しなくても)暗示する。なぜ911事件の攻撃が際立って残虐だとみなされるのかと尋ねられれば、ほとんどの人は、それが民間施設の民間人を無差別に攻撃対象にしたものだからだ、と答えるであろう。もし、彼らにさらに、民間人を殺害するアメリカによる暴力行為を合法で正当化しうるものだとみなし、逆にアメリカに敵対する暴力(テロリズム)をそうみなさないのは何故かと問えば、彼らは、アメリカは偶発的にしか民間人を殺さず、民間人の殺害を目的にしたことはないからだと答えるだろう。果たして、目標が軍事施設か民間人かというのは私たちが、これが「テロリズム」であれはそうではない、というときに、暴力を正当化するための中心的な論点であるだろうか?

 しかし、西洋はだんだんと、純粋に軍事的な標的に対する暴力も、「テロリズム」と呼ばれるようになっている。このような状況で、多くの人は、ニダル・ハッサンが、彼のテキサス州フォート・フッドの米軍基地に対する攻撃に関して(メディアの多くは彼を「テロリスト」と呼んでいるが)公式にはテロリズムの罪に問われていないことに憤慨している。カナダで昨年10月、政府がイラクにおいてイスラム国(ISIS)に対する空爆を行うことを宣言した一週間後に、ムスリムの男が駐車場の車の中で軍服を着た二人のカナダ兵を見つけるまで一時間あまり待ち構えた末に、彼らを轢き、そのうちの一人を殺害した。これは世界的に、兵士を目標にしているという事実にもかかわらず「テロリズム」と非難された。オマル・カダルはアフガン戦争の銃撃戦で米兵を殺したことによって10代でグァンタナモ刑務所に送られ、「テロリスト」と名指された。私の同僚のムルタザ・ハッサンが鮮やかに分析した、アメリカでもっとも悪名高い「テロリズム」裁判は、フォート・ディックスの米軍基地に対する攻撃の犯行計画として申し立てられたものに関係している。アメリカにおいて誇示されるテロの逮捕事例は、今や民間施設に対するものより軍事施設に対するものが一般的になっている。911攻撃それ事態も、目標に世界貿易センタービルだけでなく、国防総省ビルも含んでいた。

 軍事基地に対する攻撃すらも「テロリズム」とみなされるべきだという議論は、攻撃された瞬間、戦いに実際に関与していない兵士は正当化される標的ではない、という条件に依拠している。戦場で、実際に戦闘状態にある兵士のみを、攻撃の標的にしてよいという議論である。戦時国際法は、例えば彼らの家で寝ていたり、子どもと遊んだり、あるいはスーパーマーケットで日用品を買っている兵士を捕獲することは許していない。彼らが「兵士」であるというだけでは、どこで見つけられようと、彼らを標的にし、殺していいということにはならないのである。彼らが戦場にあり、戦闘に参加しているということだけが、彼らを殺していい条件である。
 
 この議論は法と道徳の両方に固く根付いている。しかし、誰であれアメリカとその同盟国が「対テロ戦争」という名前の元に実行している軍事行動を支持する人に、真顔でこの視点を提示されると、理解するのは著しく困難になる。西側諸国の軍隊の行為を駆動している公的な枠組みは、法的および道徳的な基準に著しく反している。アメリカ合衆国とその近しい同盟者は、彼ら自身の暴力を正当化するときには、少なくとも15年以上にわたって、これとまったく正反対な視点を強調している。

 アメリカ合衆国のドローン・プログラムは、「非合法戦闘員」とみなした個人を常に標的にし、彼らがどこで何をしているかをまったく問わず(つまり、彼らがその瞬間、家にいようが、就寝していようが、家族とドライブをしていようが)殺害している。つまり、アメリカは通常、標的の名前や身分すら知らず、彼らの「行動パターン」を元に標的を決定している。オバマ政権は「戦闘員」を「攻撃可能範囲にいるすべての徴兵適齢の男性」というものに、文字通り再定義してしまった。これらすべての「正当化」は、彼らすべてが敵性戦闘員であり、したがってどこで発見され、その瞬間なにをしていようが関係なく、合法的に標的にし、殺害することができる、というものである。つまり、彼らが実際の戦場で戦闘行為に関与するのを待つ必要はない。アメリカ合衆国政府は公式にこの見解を採用している。

 「対テロ戦争」の中心的な前提は、「戦場」と呼べる具体的に限られた空間がもはや存在しないというものであったし、現在でもそうである。実際、世界全体が一つの巨大な「戦場」なのである。この「戦場」ではどこであろうと敵性戦闘員を見つけることができる。このことは、アメリカ合衆国は、「戦闘員」が指し示された「戦場」に入ったり、戦闘に実際に関与したりすることを待つ必要はなく、彼がどこで発見されようとそれは殺害の標的になるという考えを法制化できるということである。

 アメリカ合衆国の最も親しい同盟国は同じ考え方を長く採用してきた。イスラエルは、国家の敵である標的の暗殺(彼らが発見された場所がどこであろうが、彼らは殺害される)という手法を何十年も前から採用してきた。同国は、複数のイランの科学者をその自宅において殺害している。また、ガザの警察署長の自宅を故意に爆撃し、15人を殺害したこともある。それ以前にも警察署に対する爆撃で警察官研修生40人を殺害している。今週、私の同僚のマシュー・コークがNSA(国家安全保障局)の文書から、イスラエルの特殊部隊が2008年に別荘でディナー・パーティをホストしていたシリアの将軍を暗殺したことを証明した。これらすべては、ある勢力は、その敵が「戦場」に入り、具体的な戦闘に関与するまでその敵の殺害を待つ必要はない、という考え方に基礎ずけられた活動である。

 チャタヌーガの銃撃や類似の攻撃に関してここで問題になるのは、それらのすべてないし一部が正当化できるか、ということではない。そうではなくて、問題は、これらの活動に「テロリズム」という言葉が適用されるかどうかであり、その言葉が首尾一貫した意味を持っているか、ということである。なにかが「テロリズム」と分類できるかどうかを問うのは、まったく自明なことに、それが正当化できるか否かをいうためではない。すべての種類の暴力は「テロリズム」であろうがなかろうが悪いのである。

 昨晩のチャタヌーガでのような攻撃が、軍事基地を標的にしたものであるにもかかわらず、彼らがその公的地位に即して行動していたのではなく、どちらかといえば非国家的な個人として行動していたということを持って「テロリズム」と論じる人はいるであろう。しかし、これはアメリカ合衆国が「対テロ戦争」の一環として関与している暴力行為が、本質的に正当で、合法なものであり、アメリカによって宣言された敵(それが非国家的アクターであっても)による暴力は決してそうではない、と主張する別の言い方にすぎない。これらすべてが自己正当化のために作られたダブルスタンダードである。これは単に、シリアがアメリカやイスラエルの将軍を暗殺するために彼らの自宅に特殊部隊を派遣した時に吹き出るであろう怒りを想像してみればよい。

 そして最後に、本当のポイントはここなのだが、アメリカ政府、その同盟国やそれらの擁護者は継続的に、彼らが宣言した「戦争」の中の彼らの敵によるすべての暴力が非正統化される一方で、彼ら自身によるすべての暴力を正統化すること以外の目的のない基準を広め続けている。「テロリズム」という用語のプロパガンダ的発動以上に中心的な問題はない。こうして我々は、アメリカ合衆国の敵がアメリカの軍事基地や兵士を目標にするとき、それは「テロリズム」であり、しかしアメリカ合衆国が無思慮に大量の市民を殺戮すると分かりきった暴力に関与したとしても、それは「テロリズム」と呼ばれない、という地点に到達したのである。

追記:CNNは以下のようにTweet した。(訳:フランス政府は軍事施設を攻撃するテロ計画を未然に防いだと発表した)


 こういった用法を西側諸国の敵側が使用すれば、それは撞着語法であると非難されるであろう

2015年7月30日木曜日

大英帝国はインドなどの旧植民地に賠償金を支払うべきか

[Resouce]
Viewpoint: Britain must pay reparations to India

5月末、世界で最も伝統あるディベート・サークルであるオックスフォード・ユニオンは、「英国はその元植民地に賠償金を支払うべきか」をテーマにした討論をおこなった。講演者は、元保守党議員のリチャード・オッタウェイ卿、インドの政治家で作家であるシャシ・タロール、英国の歴史家ジョン・マッケンジーなどである。シャシ・タロールの議論は討議の後 Twitter で拡散され、広い指示を得た。その論点は以下のようなものである。


経済

18世紀初頭、インドのGDPは世界の23パーセントを占めていたと推計されており、これはヨーロッパのそれとほぼ同じ規模である。しかし、インドが独立した時点で、GDPのシェアは4パーセントまで低下していた。理由は単純で、インドは英国の利益のために統治されていたからである。19世紀の終わりの時点で、インドは英国最大の輸出先であり、また英国人の植民地官僚は高給取りであったが、インド人はこれも支払っていたわけである。


インドの脱産業化

 英国の産業革命はインドの脱産業化の上に成たっている。インドの織物産業はイギリスによって破壊され、イギリス産の安い織物が市場を埋めた。インドは原料を輸出し、高価な最終製品を輸入する国に改造された。
 ベンガルの手織物、特に安いが品質の良いモスリンは世界各地に輸出されていた。
 イギリスは、これらの手織物職人の親指を切り落とし、機織り機を破壊し、関税をかけることで、自国の蒸気機関で生み出された織物を世界にあふれさせた。
 産業の中心地だったダッカの人口は90%低下し、職人たちは物乞いをせざるを得なくなった。インドの世界マーケットにおけるシェアは27パーセントから2パーセントに落ち込んだ。


「インドのクライヴ」

 ロバート・クライヴのような植民地主義者は、インドで獲得した資金を使って腐敗選挙区(住民がほとんどいなくなったものの庶民院の議席が維持されている小選挙区。議席を買収することが容易だった)からの議席を獲得した。
 英国の人々は、厚かましくも、彼らがイんドに属しているかのように「インドのクライヴ」などと呼んだ。実態は、彼らがインドを、自らに属しているかのように扱ったのである。


ベンガル飢饉

 英国の容赦ない搾取によって、1500から2900万人が飢饉によって亡くなったと考えられている。
 こういった大規模な飢饉が最後に発生したのは、英国統治時代である。1943年に、四百万人がなくなったベンガル飢饉は、ウィンストン・チャーチルがインドから英国の兵士とヨーロッパのために食料を転送させた後に発生した。
 チャーチルは「ベンガルの飢饉はギリシャのそれより深刻ではない」と論じた。
 ある良心的な官僚が電信でチャーチルに、彼の方針が悲劇的な状況をもたらしていると知らせた時には、彼は苛立って「では何故まだガンジーは餓死してないのかね?」と答えただけだったという。


「啓蒙的な独裁」という神話

 英国の帝国主義は、「啓蒙的な独裁」であったという正当化がなされてきた。しかし、1943年のチャーチルの非人道的な行為は、それが嘘であったことを明らかにした。
 しかし、実際はその嘘は2世紀前から明らかであった。大英帝国は大きなスケールでの征服と欺瞞によってだけではなく、大砲によって反乱軍を粉砕することや、ジャリヤーンワーラー・バーグに集まった非武装の民衆を虐殺すること(日本では一般にアムリットサル事件として知られる虐殺事件)、制度化された人種差別による不平等の維持などによったのである。
 植民地時代に英国市民であると感じていたインド人はいなかった。彼らは常に、市民ではなく臣下であったのである。


インド鉄道

 インド鉄道網の建設はしばしば、英国統治からくる利益であったと言われる。これは、多くの国が植民地化されずに鉄道を建設しているという自明の事実を無視している。
 インドの公衆のための作られた鉄道は存在しなかった。それらは、イギリス人の交通の便のために作られたのであり、それ以上に、インドの天然資源をイギリスに輸出する港に運ぶために作られた。植民政策の利益にならない人々の移動というのは、鉄道の目的としては二次的なものであった。人々の大規模な移動という需要に応えるために鉄道の供給が調整されたことはない。
 事実として、インド鉄道は英国植民地の詐欺である。英国の投資家たちは馬鹿げた金額を鉄道事業に投資したが、これは政府が過剰な配当を約束したせいであり、この配当はインド人が支払った税金で賄われた。
 英国人の強欲のおかげを持って、インド鉄道建設費用は、カナダやオーストラリアの建設費用と、一マイルあたりで比較して倍である。これは、壮麗な詐欺であった。イギリス人が全ての利益を得、技術を管理し、全ての設備を供給するのであり、したがって利益はすべてインドの外に出て行ってしまう仕組みである。これは当時から「公共がリスクを負う、私企業の企て」と表現されるスキームであった。つまり、イギリスの私企業の利益と、インドの公衆のリスク、である。


英国の援助

 植民地制度に対する賠償の要求が大きくなってきた近年ですらも、イギリスの政治家たちはインドのような国々が英国の納税者の負担で、基本的な経済援助を受け取るべきなのかどうかについて論じている。
 第一に、開発援助として受け取っているのはインドのGDPの0.4パーセント、1パーセントのさらに半分以下、にすぎない。
 英国の援助は、賠償に関する議論が提起すべき金額にはるかに及ばず、インドが農家に払っている肥料の補助金の一部でしかない。このことはこの議論の適切なメタファーになるだろう。
 イギリスの人々は我々がクリケット、英語、議会政治といったものを愛好すること、シムラを舞台にした『インドの夏』のようなテレビシリーズの中の、ラジ(英国統治時代の)まやかしの思い出、ガーデン・パーティ、異教徒のインド人、といったものを見るのが大好きだ。
 しかし、多くのインド人にとって、略奪、虐殺、流血の歴史であり、最後のムガール皇帝が牛車でビルマに追放された歴史なのである。


世界大戦のインド兵

 インドは第一次世界大戦に、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドと南アフリカからの兵士を足したよりも多く、英国兵として兵士を参加させた。
 不況、貧困、そしてインフルエンザの蔓延にもかかわらず、インドは今日のお金にして80億ポンド(120億ドル)の資金を拠出した。
 第二次世界大戦でも、250万人のインド人が英国軍として参戦した。終戦時には英国の30億ポンドの債務のうち12.5億ドルをインドが引き受けたが、これは植民地時代の搾取から見れば氷山の一角というべきものである。これらは返済されていない。


コ・イ・ヌール・ダイヤモンドの返還


 重要なのは、英国が支払うべき賠償金の金額ではなく、贖罪の原則である。
 200年の不正義は、いかなる金額でも補償できるものではない。
 私は、個人的には、例えば今後200年にわたって、毎年象徴的な1ポンドが謝罪の印として支払われるということで十分満足である。
 そしておそらく、英国はコ・イ・ヌール・ダイヤモンド(訳注:ムガール皇帝が代々継承してきたダイヤモンドで、インド皇帝としてのヴィクトリア女王が継承し、現在は英国王室が所有している)が返還されるべきであろう。

2015年7月25日土曜日

アメリカ、遺伝子組替え食品の表示義務を禁止する法案が下院を通過


 「アメリカ、遺伝子組替え食品の表示義務を禁止する法案が下院委員会を通過」でお伝えしたお伝えした、遺伝子組替え食品の表示義務を自治体が独自に課すことを禁止する法案が米下院を通過した。議論は上院に移る。


[Resouce]
 House approves voluntary GMO labeling bill, H.R. 1599
 

Eurodad: アディス・アベバ・サミットは開発のための資金問題を議論するに十分ではなかった。

すでに何度か紹介した「国連開発資金国際会議」であるが、債務の問題に取り組んでいる欧州の市民社会組織であるユーロダッド(Eurodad)によるまとまった論考が発表されたので、訳出する。
 ちなみに、Facebook では、「アメリカ、イギリス、日本の主導により富裕国が、政府間課税機関について議論することを拒否することによって、FfD合意全体を脅かしている」と批判していたが、本文ではアメリカ、イギリスに加えて(日本に変わって)フランスの名前が挙げられている。要するに、G7に参加している主要国が、改革の阻害要因とみられているということであろう。

開発資金に関するアディス・アベバ・サミットは今日のグローバル金融システムの不公正と欠点いついての議論を再び活性化させるプラットフォームになった。しかし、サミットは解決策を提示するには不十分であり、唯一の決定的な前進は、毎年定期会合を開催していくという決定だけである。このサミットは、大団円というよりは、開発資金に関する長い道のりの最初の一歩になった、というべきである。アディス・アベバまでの道のりのなかで市民社会と第三世界諸国が主導してきた変革推進の強い力は、今後も継続され、成長させられなければならない。

アディス・アベバに集まった市民社会組織(CSOs)は会議場の廊下に「ニューヨークで会いましょう」という巨大なバナーを掲示することで、会議の残念な成果への失望を表明し、諸国の政府に、このキャンペーンが、開発目標に貢献しうる変革を達成できるようシステムを変革するまで続けるべきであることを示した。今回掲げられた問題の多く、特に、税、民間金融、開発援助、債務の問題に関係することが、CSOsのアジェンダの域に留まっている。アディス・アベバで構築されたCSOsの間でのグローバルな共同作業と、アディス・アベバの欠点に対する公的な認識と批判が知れ渡ったことが、おそらく最も重要な会議の成果でしょう。


国際的な脱税行為を止める国際機関

毎年数兆ドルがグローバルな税システムの欠陥によって失われているという事実を受けて、開発途上国はグローバルな税基準に関する決定を行う会議のテーブルにつくことを求めて、アディス・アベバに集まってきた。彼らは国際的な脱税と不正な資金の流れを防ぐための新しい国連機関の設置を求めている。それは、金持ち国クラブと揶揄されるOECDから、この問題に関するグローバルな決定の権限を受け継ぐものになる。OECDが決定権を持っている限り、100カ国以上の発展途上国は、政策決定プロセスから排除されていることになるのである。

 「グローバルな税機関」に関する議論は、非常に白熱したものになり、アジェンダ上で最も際立った議題になった。しかし、イギリス、フランス、アメリカ合衆国などにリードされた先進諸国は、税機関に対する全ての言及を削除させ、OECDだけがグローバルな税基準に対する議論を行う唯一の国際機関であるという現状を維持している。これは、彼らを歓迎しない閉じられた部屋で決定され続けるグローバルな税基準を受け入れさせられる発展途上国にとってだけの悲劇ではない。これは実際のところ、すべての人にとっての悲劇である。なぜなら、50年以上にわたってOECDが決定権を支配してきたが、その結果が示すように、半数以上の国々が政策決定から排除された状態でつくられたグローバルな税システムが実効的なものにはなりえないからである。世界の政府がグローバルに共同し、壊れた税システムの修正に取り掛かるまでは、多国籍企業は産業界規模で脱税を継続するだろう。幸運なことに、変革を求めるグローバルな圧力は、これらの問題をアジェンダから外しておくことが不可能なまでに高まっている。グローバルな税機関を求める18万人以上の署名が Avaaz の請願サイトをつかって集められ、130以上の発展途上国を含むG77諸国は、彼らがこの問題に対する要求をし続けることを強調して会議を終えた。したがって、人々の視線は、キャンペーンの次の目標として自然に、2016年の継続会議に向けられている。


 民間金融の規制なき受け入れ

 民間金融の開発のための関与という問題に関してもまた、アディス・アベバの成果は幾つかの重要な挑戦に関する議論を十分行えていない。民間金融はすでに多くの開発プロジェクトで中心的な役割を持たされて受け入れられており、それらが十分な成果を上げた記録はまだなく、また企業が人権に適合することを保証する基準も非強制的なものにとどまっているにもかかわらず、発展途上国に対する民間資金の流れをレヴァレッジ(テコ入れ)するメカニズムは推奨されている。海外民間投資のフローに対する過剰な信用は、それらのフローが有意なリスクを伴うことから、公衆の利益を最大化するように慎重に管理されなければならない。リスクを扱うことの重要性は、Eurodad第三世界諸国の政府、研究者によって指摘されてきた。特に、公式の会議と並行して行われたラウンドテーブルでのジョゼフ・スティグリッツの指摘は一見の価値がある。

会議の成果は、強力な妨害措置のおかげで、官民パートナーシップ(PPPs)に関係して生じる様々な問題も扱うことに失敗している。これらは、Eurodad が最近出版した『どんな嘘が隠れているのか?』で強調している問題である。その他の問題の中で、これらのパートナーシップは、リスクを発展途上国側に残す一方で、企業パートナー側に「獅子の分け前」(一番いい部分)を明け渡すはめになることが多い。その結果、金融上の問題を引き起こし、発展途上国の債務レベルを悪化させることになる。PPPsの真のコストを明白にし、PPPsにおける説明責任と透明性を向上させるために、まだまだなされなければならないことが多数ある。今後の議論の一環として、国連は、PPPsの利用に際しての、包括的で開発に集中するための原則と基準を発展させていくために、包摂的で、公開され、透明性の高い議論の場を招集するという役割を果たすべきである。


債務危機に関する具体的な解決策はなかった

会議の公式の成果が解決策を提供できなかったもう一つの、分野は債務問題に関するものである。いくつかの国はすでに債務危機状態にあり、それ以外にも多くの国が重い債務に苦しんでいるにもかかわらず、いかなる具体的な債務救済イニシアティヴも合意には至らず、合意文書には主権者債務の構造改革という原則についての曖昧な言及のみが含まれている。したがって、未来の債務危機を防止し、管理するためにどうしても必要であり、現在失われている多国間債務の構造改革枠組みの発展はほとんど見られなかった。

皮肉なことに、サミットの間ニュースを独占していたギリシャ危機の深刻化は、開発にとって解決できない債務危機がいかに有害なものかを示す明確な警告になった。しかし、アディス・アベバが解決策を提供することに失敗したおかげで、この仕事は現在、ニューヨークで7月後半に開かれる国連総会とそれに付属する債務再建委員会の手に委ねられることになった。


 開発援助のレベルの低下

 政府開発援助(ODA)に関する議論はアディス・アベバ・サミットではあまり時間が取られなかったにもかかわらず、現在の発展は会議に喜ばしい背景を提供しているとは言い難い。後発開発途上国は国民総所得(GNI)の0.7パーセントをODAに費やし、特に0.15パーセントから0.20パーセントを後発開発途上国へのODAに費やすという費やすという、古い約束の達成を確定するタイムテーブルを求めている。アフリカ諸国は、従来の約束を2018年までに達成し、2020年までに新しい目標としてGNIの1パーセントという目標を設定するように求めている。さらに彼らは総予算の50パーセントが後発開発途上国に向けられるべきだと呼びかけている。

不幸なことに、この問題に関する合同声明の作成に際して、欧州連合(EU)はこれらの提案に合意しなかった。この声明では、ODAに関する約束はポスト2015アジェンダのタイムラインの中で実行されるべきだと述べている。これはおそらく、持続的開発目標(SDGs)のデッドラインである2030年までに、という意味であり、市民社会はデッドラインまでに十分な資金提供がなされないリスクを強調している。その間、フィンランド政府はODAの43パーセント削減を発表し、デンマーク政府も現在のGNI比0.85パーセントから、0.7パーセントまで、およそ15パーセント程度のODA予算削減を発表した。

ODAは依然として後発開発途上国にとって非常に重要な役割を果たしているにもかかわらず、アディス・アベバ・サミットは、すべての発展途上国がより信頼できる財源からの追加の資金を動員できるようにする努力にすべての力を傾注しなければならなくなっている状態を明示的に示した。これは、グローバル金融システムのリフォームが強く求められていること、国際的な脱税、民間金融に付随するリスクおよび債務危機に取り組む真の解決策が呼びかけられていることの主要な理由である。これらは、アディス・アベバ・サミットの終了後も長く継続していかなければいけない。


[Resouce]
 Addis Ababa summit falls short of addressing financing for development